タウン面白発見

 

ファミリータウンがある越谷市・赤山町4丁目の歴史

歌川広重の絵

歌川広重 冨士三十六景「武蔵越かや在(むさしこしがやざい)」
武蔵越かや=越谷(埼玉県越谷市)


越ヶ谷宿(こしがやじゅく)は、日光街道および奥州街道の3番面の宿駅(宿場町)で、草加宿(草加市)と粕壁宿(春日部市)との間にあり、当時は武蔵国埼玉郡と呼ばれていた地域です。古くは鎌倉時代の文献にも載っているそうです。
宿の中央を元荒川が流れ、北(左岸)が大沢町、南(右岸)が越谷町となっています。本図は、大沢町付近から元荒川越しに富士を望んだ絵です。
 戦国期は越ヶ谷側は武蔵国埼玉郡、大沢側は下総国葛飾郡下河辺荘(新方庄)で、元荒川は国境(くにざかい)でしたが、江戸期に入り大沢側も武蔵国に編入されています。

昭和43年の地図

 越谷ファミリータウンの建設が始まり、まずC棟が完成したのが昭和57年3月でした。
  それ以前のここファミリータウンの敷地には『株式会社 台和~Daiwa』というプラスチック製品を作る工場があり、昭和40年ごろから昭和53年くらいまでプラスチックの原料作りから様々な製品を完成させるまでの一連の工程を担っていたそうです。
 現在、その頃の様子を知っている社員もいなくなり詳しいことは判らないということですが、大型トラックが出入りするのに道路が狭く不都合になったため移転したということです。
 『株式会社 台和』は東京・台東区上野に本社があり、国内各地(茨城県古河市、新潟県新潟市、和歌山県紀の川市、福島県棚倉町、福島県会津若松市等)に工場や営業所があって今日でも順調に事業を続けているそうです。

 ファミリータウンの植栽が立派なので、もともとの工場の敷地内にあったのではないかとの意見がありますが、工場が移転した後は全くの更地になっていたということですので、現在の樹木はすべてファミリータウン建設時以降に植えられたもののようです。

 まだ武蔵野線が建設中であり、富士中もなかったことが判ります。出羽堀の水はきれいで魚もたくさんいて、子どもたちは三ツ谷橋:(赤山街道、ファミタン西南角のところにあった橋)の欄干から飛び込んで泳いだそうです。 
 その頃は現在の赤山街道の道幅半分くらいまでが出羽堀川でした。(昭和43年の地図)


現在のファミリータウン 現況